主の将棋スペックについて その4
スペックラストです。
社会人編。
三重時代:配属されて四年ほど。
当時はまだあったアマ連本部の道場を見つけてフラリと顔を出したら、そこそこに通用したようで大会に誘われて出たりするも、仕事が忙しくなって数ヶ月もせずすぐに行かなくなり、完全引退状態。
このため超古いアマ連のレーティング表に俺の名前が残ってたりする(もう期限切れと思われる)。
茨城時代:転勤になって五年ほど。
引退継続で仕事と対戦格ゲーばっかりの生活に。
将棋倶楽部24の存在を知り、たまーにやるも当時は2200の壁があまりに分厚く、ノー勉強のオレは突破出来ず、相手の素性も分からないからあまり燃えず、すぐやらなくなる。
東京時代:変わらない社畜生活だったが縁もあって結婚し、ますます仕事と思いきや、家でニコニコ生放送を見てたら将棋放送をやっていて転機が訪れる。
のちに天下一将棋会の強豪として名高い2991氏の放送を見て、対局を観戦すると一目で他の放送者とレベルの違う強さで対局して見たくなった。
一番手直りの対戦を挑み平手、香落ちと倒して角落ちまで行くもそれは流石に負かされるが、そこで相手もこちらを評価してくれたようで雑談となり、そこで天下一将棋会の存在を教えられる。
天下一将棋会時代:ゲーマーだった俺はすぐにゲームを見つけてすぐに一番上の段位(天位)に到達するも、絶対に勝てない相手とぶち当たる。
そう、中飛車左穴熊を有力と見て研究しここまで広まる下地を作った、かの有名な天帝シェリル氏である。
序盤が抜群に上手くて色んな戦型を試すも勝負どころなく負け続けたため、子供の頃に得意だった角道を止めない中飛車(今で言うとゴキゲン中飛車)で初めて勝ち、将棋熱に再度火がつく。
家に将棋盤も本も無い当時のオレにとって、天下一将棋会は唯一の将棋を指せる場であり、ここで知り合った皆さんとはSNS等で繋がり、出張でその地に行ったときはわざわざゲーセンまで来てくれた方もおり、本当に様々な面でお世話になった。
将棋を続けるモチベーションとなったことに対し、皆さんには感謝の念しかない(一部、てめーふざけんな!と言いたくなるヤツはいるがw)。
その後は縁もあってニコニコ動画に自分の将棋動画をアップするようになる。
また天下一仲間に関東圏の将棋道場の存在を教えてもらい、道場で指すようになり、社団戦やマグロ大会に誘われて出場するようになる。
過去の財産もあって天下一将棋会で将棋勘もだいぶ復活していたのか、棋力はそんなに落ちていなかったようで、それなりの成績を残して少しずつ表舞台に顔を出し始める。
嬉野流考案:将棋熱に火がついたのはいいが、一年もするとみんな穴熊やらなんやらと同じような堅い王や定跡を重視する、途中まで似たような将棋ばかりと相対することとなり、将棋は未知の局面での知恵の絞りあいだと思っている俺は早くも飽きがきてしまう。
じゃあ人と違うことを、と初手端歩や角頭歩をやってみるも、やっぱり前例があるため結局同じ方向に行き着いてしまい、指していて面白くない。
「初手から前例のない、未知の局面へ相手を誘導するような手はないものか?」とぼんやり考えていると浮かんだのが、68銀79角という出だしであった。
当時は明確な構想もなく、こんなふざけた序盤で勝てたらカッコいいよな〜くらいの気持ちで、ここから最短でいける攻めは引き角棒銀かな?と指してみると意外と勝てる。
これは!と思い実戦で磨き上げて様々な試行錯誤を経て、運命の故天野先生との対局に繋がるのであった。
多少ふざけて書きましたが、こんな感じですか。
以降は嬉野流について書いていこうかと思います。
主の将棋スペックについて その3
スペックについてあと2つで終了とします。
言うなれば嬉野年表(苦笑)
幼少時代:両親が共働きしていたので、アマ4段クラスの祖父より手ほどきを受けた(らしい)
幼稚園時代:5歳の時に佐賀県の大会にゲストとして来られていた故花村先生と二枚落ちで対局し、花村先生の2歩を指摘して勝った(らしい)
幼稚園の時に市の小学生大会に無理やり出場し優勝した(らしい)
小学校時代:何のご縁かは失念したが、女流の湯川先生と対局して勝った(らしい)
その後はオヤジの会社の将棋大会や家族将棋ばかりとなり、表舞台から姿を消してファミコンにハマる(笑)
なんかプロ入りの話(内弟子の誘い)があったらしいが、本人は全く知らず親が断った(らしい)
中学校時代:初めて県の中学生大会に出て全国大会に出場するも初の本州上陸で観光メインのつもりだったが、なんかそこそこ勝ってベストいくつかまで行って予定が崩れたことしか覚えてない(あまり記憶にない)
対戦格ゲーにハマりますます将棋から遠ざかる
高校時代:旅費タダの全国大会の旨味だけは覚えていたらしくまたも一回だけ出たが、結構早い段階で負けたハズ(あまり記憶にない)
地元のあらゆる格ゲーでほぼ負けなくなる(苦い 笑)
大学時代:苗字が特殊なせいか素性がバレて将棋部の助っ人に呼ばれ、毎回団体戦に出場することに
アマで高名な早咲さんと指す機会があったが、一年生の時に完膚なきまでボコボコにされて二度とこの人とは指さないと決意する(苦笑)
アーケードゲーム全般にハマり、シューティングゲームの名作である怒首領蜂二週クリアに魂を賭けるも、火蜂(二週目専用ラスボス)の最終発狂形態まて追い詰めるも、敵の体力あと数ミリを残して敗れ去る
この期間、記憶にある限りでは棋譜並べとか棋書購入等は一切せず、家族将棋オンリーでした。
思ったより長くなったので続きます。
主の将棋スペックについて その2
主の将棋スペックについて その1
はじめまして。
嬉野流という珍妙で摩訶不思議な戦法を産み出してしまった者です。
人によっては愛好してくださる方もいれば蛇蝎の如く嫌われている方もいるという・・・
その辺は置いときまして、私の将棋の歴史について少し書きたいと思います。